グラフィティプロジェクトの現状と作者の考え


 今現在、私が作画の許可をお願いしている

 「クリスロード商店街駐車場」 は

 非常に多く、グラフィティが群生している場所です。

 しかし、壁面の持ち主である クリスロード商店街振興組合 様と

 グラフィティライターとの間には、

 壁面を見るだけで、今までのせめぎ合いが容易に想像できます。

 

 上の写真が 「クリスロード商店街駐車場」 の西壁面になります。

 塗りつぶした後に更に描かれているのがお分かりでしょうか?

 グラフィティとは、こういうものです。

 ただ塗りつぶしても解決にはなりません。

 それどころか、まっさらな壁面が一色に塗られている。
 (塗りつぶされた色が黒なら白で、白なら黒で描けばよいのだから。)

 更には繁華街から1本外れた場所。


 グラフィティライターの格好の標的です。



 更に、かなり重い画像ですが 次の写真をご覧下さい。


 こちらは中の瀬橋下で描かれたグラフィティになります。

 (先日まで、クリスロード商店街 北壁面の写真を掲載しておりましたが、

 『仙台におけるグラフィティの実力はこの程度なのかと思われてしまう』との指摘を頂き、

 調査範囲中のものではありませんが、「仙台の」という言葉が広く仙台市付近一般に

 適用された場合を考えると、不適切な比較であったとして、差し替えさせていただきました。)



 さて、この絵を見るのと、上の書きかけの絵と、どちらが好感が持てるでしょうか?

 「ラクガキはラクガキ。全部消すべき。」

 そう言い放ってしまうことは簡単ですが、 街の全ての壁には持ち主がいます。

 全て塗りつぶしてしまえばいいのでしょうか?

 塗りつぶす為の費用はどこから捻出するのでしょうか?

 公共物なら税金で消せますが、個人のビルだったら?

 それを全てグラフィティが描かれないように監視すればよいのでしょうか?

 貼り紙をすればいいのか?刑罰を与えればいいのか?





 グラフィティは自己主張の性格が非常に強いものです。

 しかし、アーティストのほとんどは自己主張から始まります。

 それなのに、グラフィティライターは糾弾され続けています。

 グラフィティは 街中に書き殴るという行為であり、一般に犯罪です。



 しかし、ここは日本です。その土地その土地の ルールがあって然るべきですし、

 何よりお互いの損失になるようないがみ合いは、両者とも望む所ではないのではないでしょうか。



 そして、作者は研究中に、アメリカで“タグ”に悩むビルオーナーが

 その壁面にグラフィティライターを連れて来て、高品質な絵を描いてもらった所、

 ぱったりと “タグ” の書き込みがなくなったという事例を見つけています。

 

 これと同様のことが 当の 「クリスロード商店街駐車場」 の西壁面でも起きているのです。

 

 上の写真は、あるグラフィティライターが実際に 「クリスロード商店街振興組合様」に

 許可を受諾して描かれたものです。

 上には1年半以上、何も書かれていません。

 これこそが私の注目する点です。



 壁面や景観をキレイにしておきたい。 これは持ち主の当然の欲求です。

 グラフィティライターは、きっとそれは分かっています。

 ですから、「描いてはいけないのは分かっているけれど、描かずにはいられない程 エネルギーを持て余した者」

 がグラフィティライターの本質であると考えます。


 だから、グラフィティは描いても大丈夫そうな壁面に群生し、

 できたばかりのビルは標的にならないのです。


 これは裏を返せば、グラフィティライターの遠慮が汲めます。

 海外には 「迷惑なんて知ったことか」 と地下鉄車両にグラフィティがボムされた例がいくつもあり、

 日本にも前例はいくつかあります。

 それに比べたら、仙台のライターが、迷惑であることを強く意識しているとは思えないでしょうか?


 若者の多い通りで、グラフィティが若者に受け入れられるなら、

 それを年長者が汚いと一蹴していいのでしょうか?

 価値観は人それぞれで、その地域の住人や通行人が好意を持てれば、

 グラフィティの生きる道は 街の景観にもあるはず。


 私はそう考えています。



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